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2016/03/17

 今、長年放りっぱなしだった芥川龍之介全集(ちくま文庫版)の第七巻、小説部は第六巻で終わっていて主に評論へ移った。侏儒の言葉西方の人、文芸的な等を含む散文の集成。

 思い知ったのは、私はどうも美術批評と日本の歴史関連、時代物というか、それが全くダメだ。つまらなくってしようがない。美術批評は小林秀雄の何かを読んでああ無理だと大分昔にわかっていたことだけど、時代物がこうまでダメになっているとは。

 十代の、中学高校までは歴史は好きだった。得点源でもあった。河合記述模試で100点満点をとって偏差値68を叩きだした事もある。暗記科目で暗記が得意だったからというのもあるが純粋に日本史が好きだった。受験の結果、入学したのは私大の文学部日本文学専攻だが大昔は千葉大学史学部へ行こうとしていた、それくらい歴史が好きだった。大河ドラマも見ていた。

 この頃は鬼平の特番は見る程度である。大河ドラマもダメになった。見る気がしない。そう言えば鴎外の史伝小説もダメになった。高校生の頃は司馬遼太郎を耽読していたのだがどうしてこうなったのか。

 くだんの芥川全集では断るまでもなく古典に取材したものが多く、それは今昔や宇治拾遺に限らず歌舞伎、能楽からの翻案もあるのだが、それを読んでいる時もウゼエと思っていた。全集を読破してやろうと意気込んで読み始めた時、やたらめったな注釈、官位だとか地名だとかもうそういうのが原因で嫌になったのかもしれない。ちょっと原因がわからない。

 これも病気のせいか、ああそうかもしれない。陰性症状は興味関心の範囲が極端に狭まるのだ。サッカーとかこの頃流行っているらしいラクビー? も全然興味わかない、怖いくらい湧かない。去年の府中の、ジャパンカップだったか秋天だったかで五郎丸? さんが来ていてかなりの至近距離で目撃していたのだけど「はあ、なんだこいつ、有名なの? なんで?」という感じを覚えたのを思い出す。

 それはそれとしてもう好き好んで時代物や歴史小説は読みはしないだろう。