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2016/03/19

 芥川龍之介全集七巻、全評論を一応は読み終えた。芥川に関しては学部生時代のゼミで、地獄変論、芋粥論、院生になったのちもまた芋粥論をやった。特に院生になった頃には文学理論や現代思想の吸収に熱心だったから、芋粥の範になったゴーゴリの外套の構図が、二度、構造主義的な意味合いで反復されていると論じたはずだがうまくいかなかったような覚えがある。うまく文章化できなかったのだ。それに発狂してしまって休学することにもなったし。というわけで日本文学専攻で近代文学をやる人間は漱石鴎外芥川谷崎志賀辺りは一度は論ぜよと命ぜられるのである。要は大正文学が主だったもので、これが中野重治だとかその後の第一次戦後派、第二次戦後派は講義なんかでは全くやらない。それでいて、じゃあ逍遥や四迷はやるのか、というと近代文学史でやるかもね程度だったりする。

 まあ、現代文学に役立つのは芥川谷崎で、漱石も鴎外も白樺も、もう要らないと思う。芥川の評論では文芸的な……目当てであったのだが西方の人も面白かった。神だの聖人だの、ないしは偉人だのを人間臭くしたいというのが芥川の目的のようだった。天才の否定だ。

 それはさておき、私はどうも短歌と俳句が駄目だ。全く興味がわかない。芭蕉などくたばれであって、なにゆえ芥川は歌や発句に興味が持てたかしれやしない。これでも詩は好きな方で、自由口語詩は大変好物だった。今でもそうだ。恐らく、短詩がダメではなく定型詩がダメなのだろう。韻なんて全く気にしちゃいない。受け入れられる最低はソネットか。だから歌人俳人には全く興味がわかないし、短歌(和歌)が中心的文芸だった中世以前などはダメなのだ、よって近世以前もダメ、高校の科目で言えば古文が嫌い。こんな体たらくでも日文専攻を卒業して文学士になれた。

 えっと、本当は文学的意匠の中で、実作するに際し、適切なモノがわかってきた、私にはさんざ憧れたラテンアメリカマジックリアリズムだとかそういう前衛すぎるものはアウトプットできないで、結局は自身に取材し、エディプス的主題とロマンノワール、良心の欠如等々倫理学的な方向に進むべきなのだ、という事をぺちゃくちゃ喋りたかったのだけど詩論になってしまった。また折を見て。