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2016/03/29

 小説はもう内容とか題材とか、そんなものどうでもよくて、どう書くかが問題であって。色々な方法はあって、視点はどうする、人称をどうする、比喩も装飾も否定してシンプルにするなり、あるいはゴテゴテと飾り立てて、ないしは静謐に、またはド派手に書くなり。

 ストーリー、物語は全部出尽くしていて、逆から弾いたり、1オクターブ上げたり下げたり、あるいは構造(主義をつけない一般的な語義の)に凝って多重奏させてみたり。

 良い例が恋愛小説でもう要らないよってくらい千年二千年単位で書かれてきたのに、まだ恋愛小説が出てくるのは、要はどう書いていくかというこの記事の冒頭に帰結していくのだ、と古井由吉を読んでいたら思ったのだけど。もう古井は文章が文体が凄すぎるから何書いても無敵じゃんズルくね、と思った。「飯を食って(起)、胃腸で消化されて(承)、腹痛の中に便意を感じて(転)、ウンコひねり出してあースッキリした(結)」というストーリーでも古井由吉が書いたら傑作になるけど何故ってそれは異化しているから……ここまで来て悟った。

 これってフォルマニズムだしもしかしてこういう批評や創作の態度も古いのか、と思うともう何も出来ないじゃんって優れた小説家は自覚して、書くのを控えるから自然、優れた小説はもう出ないのか、と考えだすと、じゃあ私が書いてやるよって所まで考えて、一旦落ち着こうとロングピースのカートンに手を伸ばしたらもうあと5箱しかない事にびっくらこいた。私がガチガチのフォルマニストだった事にもびっくらこいた。

 新しさって何だろう? 明日歯医者だ。