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2016/04/06

 2日連続の医者が終わって、明日が健康診断という予定だったのだけど、健康診断をキャンセルした。健康診断に行って健康をおおいに崩しそうであるからだ、いやきっと崩すだろう。今日は例の自転車往復50分の歯医者だったので疲労困憊である。それでもってして健康診断をやるのがまた市の中心地近くで利根川を越えるので、確か片道30~40分はかかる。昨今の流行りであるロードバイクにはてんで興味なくママチャリで行くのだからたまったものではない。健康かどうか調べに行ったら疲れきって帰ることになるのでミイラ取りがミイラになるという奴だ、行くかバカヤロウ。

 それでまあ、予定を空にしてしまうと人間、途端に心軽くなるもので、ああ今週はこれで済んだか、ということにしたい所なのだけど、実のところ、一昨日から妙な事になっている、鼻が。

 典型的な腺病質、もうこの言葉は死語か、虚弱児だった私の唯一頑丈な所は花粉症の症状が出ない、というものでせいぜい目が少しかゆくなる程度だ。だから鼻というか鼻水なのだけどこれは別の病気だ。それでその鼻水だが鼻から垂れるわけではなく、だから鼻水というより鼻汁といった方が的を射ているのだろうが、これが鼻にあると奇妙な臭いがして、喉に降りると味が苦い。特に苦みが不快だったので「鼻水 苦い」で検索した所、素人判断でいわゆる蓄膿症かその初期症状だとわかった。

 今度は耳鼻科である。蓄膿症は俗名で、きちんとした疾患名は慢性副鼻腔炎というらしい。そしてまたまたよくわからないのが、これが一日中症状が出るというわけでもない。ひどく不快に思って痰にして出したり鼻をかんだりしているとフッとなくなる。ここから素人判断を基にした推測だけれども、慢性ではなく急性の副鼻腔炎なのではないか、と。症状がなくなる(臭く苦い鼻汁が一時的になくなる)のは副鼻腔の膿が出きったからだろう。まあこの辺はもう医者に診せないともうわからない。今日明日は休みたいし雨の日に出るのも気重だから、じゃあ金曜ということで安息を得た。

 しかしいやいや、新年度になってから慌ただしい。ロクに本も読めないでいたからオースターのリヴァイアサンを読みだしてもう5日にはなるか。訳者は柴田だから文章は平易なので読めるならば一息に読めるはずなのだけど、文章もこれ、あまりに平易すぎるものをずっと読んでいると飽きる。要は村上春樹みたいな文章なので(なんか翻訳について対談しているらしいね)、癖が弱すぎて歯ごたえがないというか。

 村上春樹関連で思い出したが、彼の小説を読まなくなってもう10年は経ったろう、海辺のカフカの文庫版が最後だ。ほとんどを高校生の時に読んでしまっていた。だから学部一年生の時にやった基礎演習が村上春樹ゼミだったのだけど記憶力を武器に楽々と、偉そうに批評していたのを思い出す。大学に入ってからハマったのは村上は村上でも龍の方で文庫で出ているもの軽く50冊を超そうというものを飢えた子供がごとく平らげるように読みふけった。結果、座右の書は「イン ザ・ミソスープ」(読売文学賞受賞作)となった。あとはまあ漱石、鴎外、志賀、芥川、谷崎、太宰といった面々の全集をぱっぱと買っては読破していく日々が学生生活だった。それでいて卒論を最初安岡章太郎、そして何を思ったか中上健次に変更し、秋幸三部作「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の特に地の果てで脱構築とは、を原稿用紙200枚使って論じて教授泣かせのものを書き、文量を稼ぐ才だけはある、と形容されて大学院に入って修士とらずによした。

 そうそう、そういうことでオースターのリヴァイアサンは400頁中、350頁まで進めたから明日には読み終えるだろう。今からとる睡眠を12時間くらいにすれば体力も戻ってこよう。積読を消化したい。