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2016/04/07

 学術書というほどではないのかもしれないけれど小説から離れて、今度は平凡社ライブラリーからのユング。一頃、心理学にドハマリしたことがあった。河合隼雄から入ったから、後からフロイトを読むという道を辿ったけれどやはりユングに戻っていった。ジャック・ラカンにも手をつけようとしたけど冷たくあしらわれた。心理学科への転科試験を受けてみようかと思って認知心理学の講義に潜ってみたらやたらグラフやデータが出てきて目が回った。心理学部や文学部心理学科はまだ心理学を科学にしようとして頑張っている、健気だ。

 文庫なのか新書なのかはっきりしない平凡社ライブラリーとはあってもユング本人の自著だから傍らにユング心理学辞典を置いているけども200頁しかないので、ささっと読んでいいのか深く舐めるように読むべきなのか。まあささっと読むだろうな、ケツがつっかえてるから。

 

 それはさておき、火野正平のにっぽん縦断こころ旅がまた始まった。私は去年から見始めたのだから新参者なんだろうけれど、どうしてこれが支持されているかというのは何となく分かる。

 加えてNHKだからこんな番組が生まれてきたというのもわかる。全く銭儲けの匂いがしないし、火野がハイライトを吸っているところを平気で写すし、食い物屋に立ち寄っても店名やメニューなんかは軽く素通りされるしで、民放じゃできないだろう。

 それで支持される理由は、あれは鎮めの旅なのだな。(鎮め、という言葉に落ち着くまでに私の不勉強で色々調べることになってしまった。最初、鎮魂の旅と書こうとして意味を調べたら鎮魂は死人にしか使えなくて、慰霊も同じくで、じゃあ地鎮かと思ったらどうもこれも違う、巡礼だと聖地巡りなので立派すぎて、鎮めとしか言いようがないのだった、語彙力が深まってよかった)。

 あれは〈場所〉を供養しているようなものなのだ。墓参りにかなり似ている、ただ墓というシンボルがないだけで。それがまた、日本人にとって無宗教な宗教性というか、共有、共感しやすいものだからウケているんだろうし、ここだと断定できても色々変わってしまっているから切なさがある。紀行番組を見て泣くようになったらいよいよ年寄りだぞと昔は思っていたけど、本当に今では泣きそうになるから困ったものだ。

 空間ではなく場所。空間はある程度条件が揃えば移植可能なのだけど場所はそうもいかない。ずっと動くことができず存在しつづけるのが場所だ。自然、歴史を帯びる。歴史とは人の営みの蓄積だから、関ヶ原みたいな教科書掲載レベルの地名でなくとも、何の変哲もない、何処にでもありそうなものでも、人間の想いが溶けない雪のようにずんずん積もっている。その〈場所〉を一度でも踏みしめた人間の数ほど想いが積もる。その踏みしめたいつかはこうこうこだった、ととある誰かが投稿者として綴るがたいてい20年30年の時を経ている。〈場所〉は動けない代わりに表情を変えていく。想いが時を重ねると記憶になるので、現在と過去の隔たりや落差を見させてくれと、記憶を持つ個人が火野正平に託し、今の姿を見せてやる。一世紀も経たず、せいぜい数十年なら〈場所〉が変わらず残してくれた表情がいくつかあるだろう、全く変わってしまったものもあるだろうけれど。それでああここだと立ち止まって眺めてやる。テレビ画面に目一杯大写しする。手を合わせこそしないけれど、〈場所〉とそこをかつて通った人間の〈記憶〉が供養されているというわけだ。多分ね。