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2016/05/13

 今週の月曜から、テレビのオンタイマー設定を使って正午には起きるという生活を始めた。音量をマックスの60に設定する。爆音と共にテレビが映るので絶対に起きられる。これはまあ、昔から使っていた方法だけども。

 それでもってして何処かで2時間くらいの仮眠をとれば大丈夫という所まで来た。寝るのに任せているとあまりにも寝すぎてしまっていたので。ただ心身の具合が悪くなったら止す。

 

 ずっと考えていること、なぜ人を殺してはいけないのか。答えは、人を殺してもよい、である。しかしながら戦争でもない限り、殺人は法律が罰する。私にもいくらだって殺したい人間がいる。やらずにいるのは刑罰が待っているからだ。

 では、その刑罰の頂点、極刑である死刑を恐れないならどうなるか? 初め、これで小説を書こうと思っていたのだけど、前例がいた。土浦連続殺傷事件では、死刑を自殺として逆利用するために通り魔事件が行われた。附属池田小事件もそんなような香りはあったのだが、ハナから死刑だけを目的にしたわけではなかったのでイケると思ったのだが現実は小説より奇なりといった感あり。

 刑罰が抑止にならない人間の殺人を考えると、つまり法律は役に立たないから道徳、良心、生物学的な人間の本能、などに目を向けた。道徳というのは謂わば世間体なので浮世離れした人間像にしてしまえば道徳はパスできる。

 本能、これはよくわからない。虫や犬や猫を殺したり牛、豚、鶏、馬などの肉を食うのはざっくり言ってしまうと対象が人間ではないからだ。文明を持ってからの人間社会は複雑さを増していきよくわからない目的のために動いていることがままあるが、つまるところは人間という種を増やし子孫繁栄を目指しかつ自身はなるべく生存する、という事が人間としてではなく生物として第一等に挙げられる。よってこの生物学的本能に反する事をなぜ行えるのか、というふうに考えていた。

 ベトナム帰還兵の精神的な問題など。ベトナム戦争に限らずともフロイトが唯一投げ出したPTSD、フラッシュバック、その問題は確か第一次世界大戦の終わった後に起きたはずだった。

 殺人が良しとされ、敵を殺せば殺しただけ英雄になれる戦争においてさえ、人間が壊れてしまうわけだから、法律なぞまるで意味がない。ただの人間が作った決まり事に過ぎないから殺人の是非からは遠い所にある。

 それで、この生物学的本能は、良心に直結しているのではないかと思い至った。換言すると良心なるものの発生源は人間の生き物としての本能から出ているんではないか、と。では良心がない人間だったらどうなるのか? これを書こうと決めたのだった。

 

 快楽殺人者やサイコパスシリアルキラーはサイコホラーの分野でいくらでも書かれている。むしろ陳腐かもしれない。ただ共通するのは殺人鬼を主人公にし、その内面を描くものがかなり少ないという事だ。まあ、一人二人殺す殺人者は主人公になっているが、モンスター級のサイコパスの殺人鬼の内面に迫ったものはあまり読んでいない。血と骨などはそれに近いような気もしたが、あれは悩んでいないからダメというかあくまで理解不能な人間離れした怪物にしてしまっている。悩んで考えてくれないと、通俗小説になってしまう。

 これをミステリーやホラーの文脈に落とさないで、あくまでなぜ人を殺してはいけないのか、どうして自分は人を殺しても何とも思わないのか、と悩むサイコパスを、書く予定でいる。

 

 なんで急にこんな事書いたかというとこれでプロット作っちゃったから。書いてしまわないと気が済まない。忘れないように私の頭の中の復習である。

 

 高橋源一郎ジョン・レノン対火星人に移った。たぶん感想は書けない。