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2016/05/20

 明日(金曜)の夕方に美容院の予約をしていて、約半年ぶり、やっと髪を切りに行くのだけど、それがプレッシャーになって今日は落ち着かなかった。話しかけられるのがね、嫌だ、苦手だ。髪型の注文をしたらすぐに雑誌かなにかを読みふけるふりをして話しかけさせないというやり方もあるんだけど、これも私にはできない。至近距離にいる人間から話しかけられていながら無視するって結構強い気持ちが必要だと思うので。だからなんとか適当に喋らないといけない。

 

 苦手ついでの話をすると、私は映画を語るのが苦手だ。これが高じてもうほとんど映画を見なくなってしまった。文化系の人間はひとしくみな映画が好きで好きで語りたがっている、みたいなノリはやめよう。

 好きな映画や好きな監督はそりゃあいる。アニメ映画は除くとして、アメリカン・ニューシネマがかなり好きだ。何度も見てきた。真夜中のカーボーイカッコーの巣の上でが中でも好きだ。あとはデビット・リンチは訳が分からなくて好きだった。ジム・ジャームッシュも好きだ。単品になるが普通の人々(Ordinary People)がかなり好きだ。北野武も好きだし、大島渚も好きだ。

 このように、監督や映画作品の名詞だけを羅列しているでしょう、何も中身の事を書いていない。

 それでもってして私の場合、〈好きだ〉で映画の感想が終わる。批評の対象にならない。映画論の本を覗いてみると映像表現の仕方に結構重きを置く感じで、私はそれを論じる事がどうにもできない。だいたいは内容で好きになっている。だからシナリオ本や原作の著書にあたってしまう。映画は活字への橋渡しになってしまって、映画そのものを置いてきてしまう。

 シネフィルみたいな人々が私の周りにたくさんいたが、彼らの語る映画論を聞いていて、これはついていけない、戦略的に撤退しよう、とそう思ったのがきっかけだったと思う。

 たぶん公営ギャンブルをやらない人は、賭け事はいけないとかそもそも儲ける事ができなさそうという理由もあるだろう(実際儲ける事はできない、年間回収率が100%、つまり例えば1年で100万円使って最終的に100万円戻ってきていた、これでかなり競馬がうまいと言われる)。

 それ以上に公営ギャンブルをやっている同士の人間の会話には入って行けないという事があるんではないか。専門用語がばんばん飛び交うし、何を語り合っているのかわからないはずだ。私の映画を語る事を苦手にしているのはそれに近い。

 こんな事を書きながら劇場版パトレイバー2の事を長々と書いたはずだけどやっぱりストーリーや設定を面白がっているわけで、他の部分の考察なんて全然やっていなかったはずだ。

 映像を批評するのが苦手なんだと思う。テレビは中継ものしか基本的に見ない。国会中継が中でも面白い。