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2016/05/27

 昨日は一応、ちゃんとした記事を書こうと思って書いたわけだがなかなか難しいな。書いていて自分は楽しくはあったけれど。面白く仕上がったのかどうか。

 ま、それはさておき。今日はダービー観戦の打ち合わせと夏競馬の意気込みを友人と語り合うという形で時間が過ぎていった。もう一人、遠方の、東北より駆けつける友人が加わった。私の場合は、関東圏に住んでいるので2時間あれば山の手線内につけるのだが、東北からだとどうなるんだ。何処かで一泊するのか。

 もし私が住まいを遠方に移した時、さてそこまで情熱があるかどうか。PATがあまりに便利すぎてウインズからは確実に足が遠のいた。東京に住んでいた時はまだネット銀行を開いていなかったのでPATはなしで、最寄りの渋谷ウインズによく行ったものだが。ありとあらゆる事がそうだけども、便利さが向上するにつれて出不精はさらに出不精になる傾向にある。

 だいたい最後に書店に入ったのがいつだったか思い出せない。私はamazonブックオフオンラインを併用して大量に買い込むのだが(なかなかブックオフオンラインは品揃えがよい、びっくりするくらい)、30冊40冊を買うとして、司馬遼太郎みたいに軽トラを引き連れて神保町に行くなどできないわけだし。

 今が華よという2016年で二十歳前後の人たちは元気そうだが、80年代末に生まれた我々の世代はどうも元気がなかったような気がする。外ではなく内へ向かっていった世代のような気がする(文学用語の内向の世代とは関係ない)。

 急に世代論に話が飛んだことに私自身びっくりしているが(※編集で追加。なんでこうなったか考えると、要は書店に行かずネットで済ませる時代を謳歌しはじめた世代だ、みたいなものが頭の中にありながら何故かそれを自分の中だけで片付けてしまったからだろう、もういいか)話を続けると、世代論は、とても暴力的な括り方でただ同じものを同じ時間軸で経験してきたというだけで、数百万人の人間たちをひとまとめにしてしまう。

 同年齢を100人集めればすぐにわかることだ。院卒、大卒、高卒、中卒が割合がどうなるかは知らないが見事に分かれるわけで、もうこの時点で一括りするのに無理があるというものだ。なんとなくわかる、という言葉のビョーキだと思う。考え方よりか気分を共有しているという感じで成り立っている気がするがそれも幻想に近い。世代論はなんとなくでできている。だからこんな風に世代論を攻撃しても、やはり私もなんとなくのビョーキに感染しているので安直だぞ雑だぞとわかっていても、あの世代は、などと言ってしまう。

 さとり世代の半分くらいは何も悟ってないだろう。同様に私はゆとり第一世代の昭和62年度生まれだが、大してゆとりがなかった。新学習指導要領が適応されたのは高校入学のタイミングだったから。我々に何か名前をつけてくれるなら狭間世代とでもつけてほしい。何もかも中途半端に受容せざるをえなかった世代だからだ。

 

 競馬でもそうで、馬齢表記が変わる所を経験しているしね。その時はさすがに馬券買ってなかったけど。

 枠も出たし軸を考えたが、ダービーではやはりマカヒキにする。今の所、二冠馬になる事ができる唯一の馬はディーマジェスティなのだけど皐月賞の上がりはマカヒキの方が上だったので、単純に府中に場所が移るなら、と考えた。血統背景からの距離適性を疑問視されていたが皐月賞であれだけ走れるなら2ハロン延長でも足りるはずだ。

 

 外で雨の中、気の早いアマガエルが一匹、我家の庭で鳴き続けている。