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2016/06/11 スリップストリームとダブル村上

 書き終えてから読み返すとずいぶんまとまりのない文章になってしまった。

 

 何か新しいものないか、何か新しいものないか、といつも考え続けていて病的におかしい頭がさらにおかしくなっているのだが、スリップストリームという方法がある。詳細はWikipediaなど外部サイトの説明読んだ方が早いし正確だと思うので。そこで調べてほしいが、簡単に言うと非主流文学と主流文学を混ぜちゃう、というやつ。
 中間小説とは区別されている。中間小説といったら司馬遼太郎松本清張その他周辺の専売特許になっている感がある。史伝、歴史や推理物を純文学風に書いている、とだけ言ってしまうとこの二人もスリップストリームの使い手といっていいんじゃないのと思うけど、そういう言及は見たことがないので自信がない。幻想性がある事も一つの条件に数えられているが、後で指摘するオースターの場合、探偵小説が自分探しのアイデンティティの問題にすり替わるという趣向のものだから必ずしも幻想性の有無如何ではないのではないかと思えてしまうが。
 松本清張は一応芥川賞作家なのだし。田辺聖子と同じくらい、作家的成功をおさめながら芥川賞作家である事を忘れられている稀有な存在だと思う。

 

 主流(メインストリーム)は純文学で、そこに非主流を持ってくる。境界解体文学、と言ってみるとカッコイイ。
 色々名前が上がっていてフィリップ・K・ディックヴォネガットオースター村上春樹。そこにマジック・リアリズムも入れてしまうらしい。ボルヘスマルケス南米文学は土着的呪術的というか民俗学的なものを持ってきた、みたいな感じで解釈するのか。
 リアリズムに幻想性が混じってくるというのも定義になっているのだけど(まんまマジック・リアリズムじゃないか)、とにかく、純文学に何かチャンポンしちゃえばそうなる、と言えるんだと思う。

 

 推理・ミステリーに純文学を合わせたのは海外だとオースターニューヨーク三部作、日本だと奥泉光となるのだろう。SF要素は真っ先に村上春樹が上がっているけど、村上龍もそうだと思う。
 ダブル村上の共に3作目で、奇しくも両者とも上下巻になるほどの文量を持った本になり、さらに符号の合わさり方は続き両者とも野間文芸新人賞をとった、龍の「コインロッカー・ベイビーズ」と春樹の「羊をめぐる冒険」。
 羊をめぐる冒険はわざわざ私が何か言わんでもいいかな。ハルキストさん達が散々やっているだろうし。ユング的な深層心理学で言う所の〈影〉〈羊男〉だ、とされていると思うんだけど(村上春樹研究の評論は読んだ事ないので適当に言っている)
 その一年前に村上龍が「コインロッカー・ベイビーズ」を上梓した。これも私が説明するよりググった方が早かろうと思うのだが、捨て子の二人組がいて、当時流行っていた、駅のコインロッカーに赤ん坊捨てる、という所から着想を得てそのまま利用し、孤児二人が(正しく言うと片割れが)副都心新宿の高層ビル群を破壊しようとする。破壊願望でコインロッカー・ベイビーズは語られる事が多い。

 

 読んだのがどちらも8年近く前だから少し記憶が朧気だが。この両者とも、SF的要素がある。ファンタジーと言ってもいいのだろうが。コインロッカー・ベイビーズでは、都心に汚染された広い区域があって立ち入り禁止になっている。そこにヤバイ奴らがいっぱいいる、みたいな設定がある。
 そしてダチュラ。人間を行動不能にするだったか、殺すだったか、そういう向精神薬爆弾というか神経麻痺爆弾みたいな、そんなものを新宿に落っことすんですわ。(昭和歌謡大全集(小説名)では東京都調布市に核爆弾を落としている。)
 村上龍ダチュラというものを作った。対抗して村上春樹が作ったのが〈羊男〉だ、みたいな事を、ちゃんとした書籍や文芸誌特集号などでは見ないが、ネット上でたまに見る。これを信用する必要はないが考え方は面白い。この頃は力関係で言えば村上龍の方が上だ。角川春樹村上龍から名前をパクったのではとまだ言われていた頃だと思う。
 春樹はいいとして、龍の方も、その後の著作を追っていくとSF的要素というのは結構ある。もろにそのまんまSFじゃんというのは「歌うクジラ」などだが、「愛と幻想のファシズム」も設定は近未来SFだろう。「五分後の世界」もパラレルワールドもののSFだろう。
 90年代以降の村上龍中村玉緒さんのようだ。勝新太郎が死んでやっと活き活きしてきたというか。中上健次が死んでしまうと、村上龍はとても元気になって凄い勢いで単行本をバンバン出していく。中上の死んだ後は、ほとんどの主人公が〈ケンジ〉になる。
 この90年代、村上龍は描写力描写力と念仏のように唱えていて、それが結晶化されて生み出された傑作が「イン ザ・ミソスープ」(読売文学賞受賞)である、私の座右の書。

 

 だらだら書いてしまったが純文学にSFを混ぜるのはなし、とっくにやられているから。円城塔という存在はあるが。推理、ミステリーもやられている。
 他に混ぜ合わされてないやつはないのか? と考えてみる。まだ食い散らかされていない非主流の小説のジャンル……ホラー文学じゃないか? と思いついた。
 これも実はやられてないわけではなくて、また村上春樹の名前を出すが短篇の「レキシントンの幽霊」はゴシック小説(ゴシック・ロマンスの中のゴシック・ホラー)だ。
 先述した村上龍の「イン ザ・ミソスープ」もサイコホラーものである。

 

 あれ、もしかしてホラーもダメか? ……まあ、その、あまりやられていないというか、そこまで食い散らかされていないのは確かなんじゃないかと思う事にした。
 今はまだ私の中で全然考えがまとまらない。ホラーの文脈が私の中にまるでない。現代のホラー小説というと貴志祐介の「黒い家」くらいしか読んでいないし。戦前でよいなら江戸川乱歩を多少は。実はスティーブン・キングを一つも読んでいない。映像化されたものを昔ドバっと見ただけだ。シャイニング含め。

 

 ということでドストエフスキーを読み終えるとほぼ積読制覇なので、近々本の買い入れを決行するが、平山夢明? 名前あってるか? みたいなホラー小説作家のものを少し買って読んでみようと思っている。
 純文学との合体不可能、身の程に合わない、と判断したらすぐ辞めて頭切り替える。

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 今日はドラッグストアなど、遠出の外出の用があった。
 私は免許を持っていなくて車を動かせない。免許をとるために車校に行く場合、病気が病気だから意識障害(失神など)を起こさない、という医者が証明する何らかの文書が必要となる。まあ都合よく書いてくれるだろうから問題ないが私にやる気がなくて。30歳までにはとった方がよいはずとはわかっているんだけど。危機感がまだ足りない。
 なので自転車で暑い中走ったし、これでウォーキングの代わりにしておこう、と思った。
 結果、1.55km、2422歩。やっぱりちゃんとやらないとダメだなと反省した。土曜の競馬は見るだけにする。買いたいレースなし。