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2016/06/18 100点満点を目指して90点をとろう

統合失調症陰性症状 雑記

 Winstonのサンプル煙草で、イナズマメンソールを頼んでおいて、それが今日来たのだけど、んー、メンソール煙草はどれも同じ感じがする。メンソール煙草は鼻で吸う。鼻の穴の片方にフィルター突っ込んで、もう片方の鼻の穴を指で潰すと吸う事ができる。これやると凄い目覚まし効果があって、よくやるのだが人前でできないのが欠点。
 たぶん今更、な問題なんだろうがキャスターキャビンWinstonファミリーに追加ってどういう事だ。銘柄が存続したのは良いとして、パッケージというのは文化なので、あんまりこういう事はしてほしくない。JTの国内戦略としては新規獲得ではなくて現状維持にしてほしい。これの狙いは海外での販売に際してだと思うのだけど、だったら国内はそのままでいいんじゃないか。いくら元国営で株を財務省が半分持って支えているとはいえ、斜陽産業なのは明らかなんだから。

 

 それはさておき。

 

 自治会での話で、ゴミ屋敷になりかけているお宅があって問題になっている、見に行こう、と言われた。近くで火事があった、見に行こう的なノリで。なんと浅ましい野次馬根性か。もちろん私は勇んで玄関に行き、靴を履いて、ゴミ屋敷もどきを見に行った。
 目的地についた。同じ町内にしてはずいぶん歩いたなと思った。それもそのはず、すぐ近くに四車線道路がある。その道を越えたら隣町だ。
 で、くだんのゴミ屋敷は確かになりそうではあった。なりかけていて、ゴミ屋敷として成長中というか。我が家よりも敷地が広く、建物も立派に見えたが、庭が用途不明の家電製品やら自転車やら錆びついた軽自動車やら、いちいち何があったか確かめるのも面倒なくらい、ゴミがたくさんあった。溢れそう、という状態には見えなかったが、空いている部分がない様子だったので、これから放り投げて積み上げていくのだとすると、いつかは限界が来るだろう。
 ほどほどにしておかないと、あくまで他人の家だから、じろじろ見ていたら住人が出てくる、そうなったら厄介なのでしばらくして帰った。帰り道に私が感じていた事は、このお宅の住人は、もしかすると私と同じ病気では、という事だった。


 これは統合失調症躁鬱病に顕著なのか知らないが(だいたい精神障害で手帳をもらうのはこの二大精神病、ひどい鬱病で3級というのが相場)、衛生管理ができない。身の清潔を保つのが難しいというか億劫だ。
 風呂を嫌がる、髪を切るのを嫌がる、着替えをするのを嫌がる、歯磨きしない、手を洗わない、食器を水洗いで済ます、片付けをしない、掃除をしない……書いているとため息が出てきたのでこれくらいにして、私の自室も相当乱れている。その範囲は冬は電気炬燵になるテーブル上と、PCを置いている机の上、2つに何とか留めさせておけている、というのが現状で、両方とも無秩序なガラクタ置き場になっている。
 何でそれを放っておいてしまうかというと、片付けて拭き掃除したってまた汚れるから。あと、掃除をしなくても死なないから。不潔なままでいるといつかウイルス性の何らかの病気に冒されそうだが、そんな可能性は考えない。
 で、ゴミ屋敷もどきをあまり悪く言えないのは、私が自室だけではなくこの家の家主になって住んでいるのが自分だけ、になったらあのゴミ屋敷もどきになりそうな予感がしたからだ。

 

 完璧を求めて、そして結果が出た時、完璧でなかった事にガッカリして、まいってしまうようだと、危ないエリアに片足突っ込んでいると思った方がいい。神経症、精神病はゼロ点か100点満点か、極端なものを求める。それが病的と他者から言われる。
 この陰性症状だと、ネガティブな方で完璧といえば完璧なのだ。掃除も片付けもしないからゼロ点。10点でも1点でもなくゼロ。
 100点満点を常に目指して結果にも満点を求めるのは強迫性障害など。なんでそんなに手を洗うかねというぐらい洗ってしまう人を知人に持っている。潔癖は病気だ。同じように極めた不潔もまた病気だ。

 

 だいたいみんな、赤点にはならないようにして生きていると思うので。その中で特に好きな事、やりたい事、やるべき事に100点を求めるんだろうが、とれるわけないと思う。仮にとれたとして、その100点満点をいつまで維持できるのか、というのが問題になってくる。

 

 99%の努力と1%のひらめきなのか、1%のひらめきがないなら99%の努力は無駄になるのか、どっちの解釈でもよいと思うけど、1%のひらめきよりはと換言した方が私の気分にあっている。
 ものを書く時だってだと思う。この文脈の流れで、なぜその単語、熟語を出したのか、なぜ句読点を入れたのか、なぜ倒置法を使ったのか、みたいに。

 

 毎週競馬をやり続け、それが10年以上になるとわかってくるけども、完璧な予想なんてできない。努力して情報を集めても、ゲートが開いた瞬間、つまりレースが成立した状態で軸馬がすぐ落馬、なんて事もある。嫌というほど体験してきた。ノーリーズンポルトフィーノだけではない。平場でもごくまれにある。
 というか競馬は何が楽しいかって予想して買い目を決めて、オッズを確認する時だ。組み合わせのいくつかに万馬券があるとウキウキする。ちなみに2016年も前半が終わるが私の万馬券的中回数は5回だ。回収率は97%。
 阿佐田哲也色川武大が言っていた事だが勝ちたいなら競艇だと言う意味もわかる。ステークス競争のように、自分の持ち馬がどれだけ強いか競わせる貴族的な遊びが競馬であって、それで儲けようとしてはいけない。お馬で人生アウトだ。

 

 これが小説だともっと難しい話になる。完璧な小説、とよく言われるのは森鴎外「雁」なんだが、ツッコミを入れようとすれば入れられる。文豪も時には失敗する、谷崎潤一郎の偉大な失敗作と言われる「卍」など。

 

 目標を100点満点にするのは構わない、いやそうすべきだと思う。ただそれがペーパーテストなら100点はとれるけど、他の物事についてはそうはいかないだろう。100点を目指して努力して結果が90点なら大成功の範疇なのでは? と思った。そう思っておいた方が精神衛生上、得な気がする。
 こういう話を考えていると中国思想に中庸があった事に気付くのだけど、私はそれが思い浮かんだ時、思考が停止する。東洋思想学ABという講義をとってみたことがあるけどよくわからなかった。物凄くテキトーに書いたレポートでA評価だったのもよくわからなかった。出欠カードを書く講義で前期後期それぞれ3回くらいは自主休講したはずなんだが。

 

 初めからこれくらいでいいや、は自堕落なんじゃないかと思うので、100点満点を目指して短篇を書くけど、推敲を重ねて90点の出来だと自分が納得できたらたぶん応募する。

 

 函館競馬場地震がどうとかじゃなくて雨が強いらしいけど、嫌だな。現時点で芝が稍重、ダートが不良、これは手を出せない。今週も土曜競馬は見学。